【2冊目】「デジタル・ゴールド–ビットコイン知られざるその物語」

ビットコインの歴史を実際の取材をもとにして描き出した一冊。

まさに事実は小説よりも奇なり。物語として非常に面白く、読み応えがあった。仮想通貨に興味がある人には、技術の入門書よりもまずはこの本を勧めたい。

政府やウォール街に対する怒り、シリコンバレーと金融業界の戦い、技術がわれわれを人間の弱さから救ってくれるのではないかという期待と同時に技術の生みだす力へのおそれなど、現代社会のさまざまな底流から生まれた集団的発明の物語である。本書の登場人物はそれぞれの事情からこの新たな思想を追い求めたが、その人生は例外なく野心、欲望、理想主義、人間的弱さの産物であり、それこそがビットコインを地味な学術論文から一〇億ドル規模の産業へと押しあげる原動力となった。

様々な人が様々なモチベーションでビットコインに関わっており、それらが絡み合い一つの物語として成立していく。そのうち映画化されそう。

新たな通貨を設計するうえで、過去に成功した通貨制度に共通する特徴を意識した。優れた通貨は一般的に耐久性が高く(ティッシュペーパーに印刷した紙幣などもってのほか)、携帯性に優れ(重さ一〇キロの硬貨などありえない)、分割可能で(一〇〇ドル札だけで硬貨なしという通貨制度は存在しえない)、統一感(すべての紙幣の見かけが違ったらどうなるか)と稀少性(誰もが偽造できたら大変だ)がある。

こうした条件のほかに、通貨には絶対に欠かせない、もっとぼんやりとした要素があった。それを使う人からの信用である。農家が一生懸命育てた作物の対価として一ドル札を受けとるのは、たとえそれがただの緑色の紙きれであっても、将来もその価値があると信じているからだ。長い目で見れば、成功する通貨の重要な特徴は、誰が発行したかや、どれだけ携帯性や耐久性に優れているかではなく、それを進んで使おうとする人の数である。

そもそも通貨とは何か。通貨の歴史を改めて勉強してみよう。

すでに七万BTCを貯めていたラースローは、ピザ一枚につき一万BTCを提示した。最初の数日は誰も応じなかった。ラースローからビットコインをもらったところで、どうしろというのか。だが二〇一〇年五月二二日、カリフォルニアの男性がジャクソンビルの宅配ピザ店パパ・ジョンズにピザを注文すると申しでた【1】。しばらくするとラースローの自宅に、トッピングたっぷりの二枚のピザが届いた。

初めてビットコインが現実のものと交換された事例。現在の1ビットコイン150万で換算すると世界一高額なピザに。

既存のシステムのお粗末さが明らかになったのは、金融危機のまっただなかにウォール街の大手投資銀行モルガン・スタンレーが日本の銀行から九〇億ドルの資本注入を受けたときのことだ。日曜日に両社が合意に達したものの、週末は送金ネットワークが動いてないうえに、週明けの月曜日はコロンブス記念日でアメリカの祝日だった。結局、銀行ですら祝日には資金を受け渡しできないことがわかった。日本側は九〇億ドルの小切手を切るというとんでもない手段に出ざるをえなかった。

ウェンセスが子供のころ、アルゼンチンはつねに金融危機に見舞われていた。一九八三年、長年のハイパーインフレを受けて、政府が新たなペソを導入し、旧一万ペソが新たに一ペソとなった。だがその新ペソも行き詰まり、一九八五年には新ペソに代わってアウストラルが導入されると、一〇〇〇ペソが一アウストラル相当となった。その七年後、インフレが進行したために政府はふたたび通貨をペソに戻したが、今度はドルに連動させた。この実験は結局、未曾有の金融危機を招くこととなった。この間、インフレは年率一〇〇%超。これは銀行預金の価値が毎年半分か、それ以下になることを意味した。

訪れる人の顔ぶれは毎回違ったが、ある年配の紳士は何度も訪ねてきては、毎回購入額を増やしていった。物静かでむっつりとした顔つきで、技術に詳しいようには見えなかった。ある日、この老紳士がかなり大きな額のビットコインを購入したので、ウェンセスはビットコインのリスクを理解しているのか穏やかに尋ねた。 「これはかなりの額に思えますし、とてもリスクが高いんですよ。すべて失うかもしれないとわかっていますか?」と、できるだけ丁寧な口調で語りかけた。 「あなたのご家族は、ペソで貯めておいた全財産を失ったことが何回あるかね」と老紳士は尋ねた。 「三、四回でしょうか」とウェンセスは答えた。 「そうだろうね。私はそれ以上だ。」

既存の金融制度の様々な問題点についても言及されている。日本にはないこういった強烈な原体験を持った人がビットコインを初期から後押ししている。社会実装についてはSBIが推進しているように、最初は金融機関がもっともメリットを受けやすいのか。

「われわれはスカイプを使って、ジャカルタにいる誰かに電話をすることができる。相手の姿を見て、話すこともできる。大容量のネットワーク回線のおかげで画像や音声に遅れもない。たくさんの夢が現実になって、本当にすごいことだ。けれど電話を切って相手に一セント送ろうとすると、それができない。とんでもない話だ。動画や音声を送るより、一セント送るほうがずっと簡単なはずだろう。

将来、あらゆる通貨がデジタル化し、競争が激化すれば効率の悪い現行通貨はすべて姿を消す可能性は十分にある。インターネット上で摩擦なしに取引できるようになれば、おなじみの統合とグローバル化が進み、最終的に六つのデジタル通貨だけが残るだろう。ドル、ユーロ、円、ポンド、人民元、そしてビットコインである。

残る通貨が上記の6つだけになるかは疑問だけれど、デジタル化が進んでいくのは間違いない。デジタル通貨自体はTポイントのように受け入れられるのかな。

パネリストはこぞって現在のビットコインの状態を、最初のウェブブラウザが登場する以前の一九九二年か九三年ごろのインターネットになぞらえた。当時は少数の技術者のあいだではインターネット・プロトコルの可能性がもてはやされていたが、一般の人々が使いやすいプログラムやインフラは存在していなかった。当時のインターネットは非主流派が支配する世界で、どう転ぶかわからないような技術を積極的に試していた。同じように二〇一四年の段階でビットコイン・プロトコルにはまだ特にすばらしい用途は見つかっていなかったが、利用者に使い勝手のよいツールが開発されれば状況は一変する見込みがあった。

ウェンセスは、いずれビットコインが人類史上最高の決済ネットワークになると確信している。だがそれが実現するのは一〇億人が多少のビットコインを持つようになったときだ。ウェンセスは一九九三年のインターネットの状況という、お定まりの例を挙げた。当時まだ世の中に一〇〇〇万個ほどしかなかった電子メールアカウントを取得したウェンセスは、これがあればノースカロライナの大学教授とメッセージを交換できるんだ、と母親に自慢した。すると母親はとんだ物好きだとバカにした。自分が知り合いと連絡をとるにはまるで役に立たない、と。だがウェンセスは当時から、世界中の誰にでも自由に情報を送れる技術は、やがて重要な意味をもつようになると確信していた。そして最終的にはそのとおりになった。そして今回、世界中の誰にでも自由に資金を送れる技術は、やがて重要な意味をもつようになると確信している。

「今のあなたは、誰もがすでにTCP/IPを使える状況にあるのに、世界中の人をコンピュサーブにつなごうとしているようなものです」。ウェンセスはこう言うと、いったいどんな反応が返ってくるかといささか不安を感じながら口をつぐんだ。ゲイツの返答は、ウェンセスの常識的な予想をはるかに超えるものだった。 「実はね、私は財団にビットコインには手を出すなと言ったんだが、それは間違いだったのかもしれない。今度連絡させてもらうよ」と穏やかに返したのだ。  ウェンセスがカリフォルニアに戻ると、ゲイツ財団から会合をもちたいというメールが入った。それからまもなくゲイツは公の場で初めて、匿名性はあまり感心できないが、ビットコインの土台となる概念のなかには評価できるものもある、とコメントした。

インターネットの再来と考える人も多い。特に初期は否定派、肯定派と分かれ大きな社会問題として捉えられる点も近いのかもしれない。インターネットもほんの数十年前は怪しいもの、危険なものとして捉えられていた。(未だにその認識の人もいるかもしれない)

ビットコイン、仮想通貨に関心がある人は技術書とかよりも、まずはこの本を読めば大体の概要も掴めるのでおすすめです。

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Posted by ksenokuchi